2 吉岡善吉の雑記:Vtuberは生きている、それとくしゃみ

Vtuberは生きている。

 

はい、脈絡もなく始まりますのがこの雑記です。今回はくしゃみについて話します。といってもその仕組みを説明するわけではなく、Vtuberとくしゃみの関係についてふれていこうと思います。

 

Vtuberの中には収益化をしている方もいまして、そういうVtuberに対して視聴者がお金でコメントを買い、そのお金の一部がVtuberに入る…これを“スーパーチャット”(以下スパチャと表記)や“投げ銭”と言います、多分。少なくとも私はそういった認識です。

 

で、なんでそんな話をしたかと言いますと、Vtuberさんが生放送にて、くしゃみをするとスパチャがよく飛ぶんですよ、不思議ですね。ということで、これはなんでなのかってことを、つらつらと書き連ねていきます。

 

自分のくしゃみ、他人に聞かれると恥ずかしいですよね?少なくとも私は恥ずかしいです。それが何十、何百、何千人もの前だとなおさらのことです。そういった恥ずかしさにより羞恥心をくすぐられて、スパチャを投げる視聴者が生まれる。これは多いにあり得ます。ですが、本質的には別の観点があるのではないかと私は考えています。

 

ここで最初に述べ、タイトルにもしています、“Vtuberは生きている”に戻ってきます。Vtuberは“生きて”いるんですよ。この“地球上"に。でもその体、アバターが2次元であることに変わりはなく、距離はどうしても存在するんです。ですがその距離を、くしゃみを通して、短いものだと認識する。ああ、このVtuberさんも生きているんだなあ、と感じる。そこに安心して財布が弛むのではないか、というのが私の持論です。

 

はい、例によってオチはないです。持論を書いただけで満足したので。これがどこかの著名な方が書かれた評論であれば最後に警鐘でも鳴らすのでしょうが、別にこのことに関しては危機感を覚えるようなことでもないですし、このまま終わります。 最後に『警鐘』、これ読めますか?『けいしょう』です。今の今まで『けいりん』と読んでいた私の馬鹿さに、『けいりん』でも鳴らして、締めとさせていただきます。